<< July 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -
【立ち読み】『麻煩偵探 Lady Troublelove』本橋たかこ

  香港の朝は早い。いや、一部の人にとっては遅い。
 そんな遅い朝、ぬるま湯につかったような湿気を体に感じ、俺は目覚めた。案の定、今日の天気も曇りらしい。
 頭の中に霧を抱えたまま、伸びかけの髪をかきむしる。 窓に目を向けると、女がカーテンの間に頭を突っ込み、俺に背中と尻を向けていた。一糸まとわぬ裸じゃないのが残念だ、なんて言いたい気分だが、こいつは決してそんな女じゃない。エロティックどころか、むしろどんくさい。
「―おはよう、サクラ」
 俺はカーテン女に声をかける。Tシャツに包まれた肩が少しびくつき、奴が振り返る。
「…おはようございます、師傅(しーふー/師匠)。何、あたしもしかしてヘマして起こしちゃいました?」
「いや、別に―何か面白いもんでも見えるのか?」
「あー…、海が見えるっていいなぁって思って」と、奴はカーテンを開けた。
「見えるのかよ」と俺はつっこんだ。このアパートは町の中でも比較的高い位置に立っているとはいえ、地下鉄の地上高架をはさんだ向こう側にあるショッピングモールにさえぎられているので、どうしてもヴィクトリア湾を見ることができない。
「一応、そういう気分ってことですよ。しーふー」とサクラが微笑む。その顔を見た俺は一息置いて言った。
「…朝飯、食いに行くか。今日は学校休みなんだろ?」
「は、はい!」サクラは破顔一笑する。
「シャワー浴びてくるから、その間に着替えて支度しとけ」
 俺は汗に濡れたシャツを脱いで、バスルームに入った。

  三十分後。
「―あれ、サクラぁ?」いなくなっている。さては先に階下に降りたか。でも、奴の愛用のカバンが残っている。ってことは…。
 カバンをつかんで玄関のドアを開ける。ああ、やっぱり。門の前で涙目になって奴が貼りついていた。
「しーふー!うっかり鍵持たないで出ちゃいました!すみませーん!」
 …ベタな奴め。おかげで毎日俺は楽しいよ。
 俺は苦笑いしながら、ちょっとつぶやいてみた。

 さらに十五分後。
「しーふー」
「なんだ?」
「…この早餐(モーニング)、おいしいですね」
「この間と同じメニュー食ってんだろうが」
 行きつけの茶餐廳(きっさてん)で、俺はサンドイッチ、サクラはオムレツの早餐を食う。もうすぐモーニングタイムが終わりそうだ。客は俺たちしかいない。
 しばらく無言で飯を食い、俺は温かいミルクティーをすする。サクラはアイスレモンティーをストローで飲みながら、夢中になってマドラーで大量の輪切りレモンをクラッシュしている。 
「しーふー」
「今度は何だ?」
「次の仕事はいつですか?」
「十二時から尖沙咀(チムサーチョイ)のスタジオでレコーディングの打ち合わせだけど…」
「いや、そっちじゃなくて」
 え。
「あっちの方の仕事ですよ。今度私にも手伝わせてくれるって言ったじゃないですかぁ」
「おい…」
 うう、自然と眉間にしわが寄る。勘弁してくれよ。
「それを大きな声で言うなよ、いくら日本語で話しているからいいと思って!」
「えー、私、何のためにあなたを『しーふー』って呼んでると思うんですか?あっちの仕事、やってみたいんですよー。嫌だって言ったら昔みたいに『ヒトミちゃん』って呼ぶー、呼んでやるー。あと、義姉さんにあっちの仕事のこと話しちゃいますからねっ。きっと大激怒しますよ」
 う。弱点を突いてきた。女っぽい本名で呼ばれることももちろん嫌なのだが、実は俺は今でも姉に頭が上がらない。こいつのことだから、本気で言うことはないと思うが、俺がここでやっているもう一つの仕事のことを、日本の親族には絶対知られたくない。
「それは勘弁してくれ。でも、トラブルに巻き込まれるってことを想定しとけよ。ただでさえ厄介事に巻き込まれやすいんだからよぉ」
「もちろん冗談ですよ、しーふー」
 サクラは満面の笑みを浮かべて、レモンティーをすべて飲みきった。

| 本&グッズ | - | -
スポンサーサイト
| - | - | -